使われなくなった中型の桶のフタ。
足(馬)に乗せて、簡易テーブルです。
連結すると丸テーブルにもなりますね。
フタとはいえ、かなりしっかりとした作り。
柿渋まで塗ってある訳でございます。同サイズの桶の底板もありますが、重い…。
これからのイベントで使用予定です。
足も塗らないといけません…
桶のフタのテーブル
2020年2月20日 ひとり言, 古民具, 塩屋にあるちょっと古いもの
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2020年2月20日 ひとり言, 古民具, 塩屋にあるちょっと古いもの
2019年12月17日 塩屋にあるちょっと古いもの
2019年8月15日 塩屋にあるちょっと古いもの, 昭和レトロ
2019年6月30日 塩屋にあるちょっと古いもの, 昭和レトロ
2019年5月18日 塩屋にあるちょっと古いもの, 昭和レトロ
2019年4月27日 塩屋からのお知らせ, 塩屋にあるちょっと古いもの
10連休に突入ですね。
江戸時代は地域単位で休日を決めていた様ですね。
塩屋に残る古文書
「年中休日の定」
須坂藩新町の休日です。
4月、5月(旧暦)合わせて5日しか休みがありませんw
という事で、塩屋は休まず営業致します。
皆さまのご来店をお待ち申し上げております。
2018年11月15日 ひとり言, 塩屋にあるちょっと古いもの, 明治の気骨
2018年11月6日 古書, 塩屋にあるちょっと古いもの
塩屋に伝わる古文書から明らかになった幕末のお話です。
須坂藩13代藩主「堀直虎公」・・。
昨年の大河ドラマの余波もあって、だいぶ有名になりました。
没後150周年ということで、様々なイベントが開催され、顕彰されました。
一方、その影で、直虎公の遺志を守り数奇な人生をたどった遺臣のお話は余り知られておりません。
(以下、長文になります。一部不快に思われる表現があります。)
堀直虎公遺臣「市川節造」
若年寄堀直虎公が江戸城で将軍にナニカを換言して城中で自刃したのは皆さんご存知かと・・。
その後、須坂藩は新政府よりに立場を変えていくわけですが・・。
亡き殿のご遺志と違うということで、藩の方針に従わなかったのが、
江戸詰めの最側近、中野五郎太夫(代々側用人の一族)、竹中清之丞、市川節造。
三人とも死罪を言い渡される訳ですが、一番身分が低くて若かった市川だけ脱藩。処刑された同志から遺志を守り、伝えることを託されたのか・・、活動を開始します。
まず、上野彰義隊に入隊し新政府軍と交戦、敗走後、各地を転戦して奥州に潜行。謹慎中の慶喜に会おうと水戸城に赴くも果たせず。ひそかに江戸に戻ったところを捕縛されます。
亀戸の旧藩邸の牢獄にて切腹を命じられるも、宿志を遂げていないということで脱獄。
どこから?
なんと厠の・・・。
主君の為、同志の為に生きなければならない使命感は凄まじいモノがありますね。
その後、亡き殿の遺志を伝えようとチラシを印刷して須坂藩内に撒布。中野・竹中、そして彰義隊他賊軍として亡くなった仲間の供養塔を建設等々、全国で活動。
父親が人質に取られたため、自首して禁固二年。釈放されてからも活動は続き、
その様子は明治26年の「信濃毎日新聞」の記事にも掲載されるほどでした。
脱出後、市川が好んで使った肩書きは「圊脱居士」「圊厠・・」・・。
誰もが想定しなかった場所から脱出、そのまさかをやってのけた事は彼自身の誇りだったのかもしれません。
※圊、厠(両方トイレのことです)
※直虎公の自刃した当日の最後の書を所持していたのは市川節造。当日、刀番として江戸城にお供していたのも市川と思われます。
塩屋に伝わる未公開だった古文書(中野家文書、前述の中野五郎大夫一族。塩屋の親戚です)をもとに地元の郷土史家が「市川節造」について寄稿されています。
詳細は「郷土史研究会発刊 須高86号」をごらんください。
2018年3月3日 ひとり言, 塩屋にあるちょっと古いもの
塩屋の事務室でガラクタを放り込んでいたワインの木箱。
私がサラリーマン時代にいただいて以来、愛用しておりま
塩屋の木ダルもお客様に大事にしていただけたら嬉しいで
ちなみに…現在このワインをしっかりしたワインショップ
二箱で180万
2018年2月16日 ひとり言, 塩屋にあるちょっと古いもの, 広告・宣伝物, 昭和レトロ