「将軍慶喜を叱った男 堀直虎」が出版されました。 大政奉還・鳥羽伏見の戦い後、幕末の混乱期。 わずか1万石の外様大名が若年寄兼外国総奉行になり、将軍を叱りとばして(佐幕・勤皇恭順・・諸説あります)江戸城内で切腹した、須坂藩13代藩主「堀直虎」を描いた小説です。 小藩の藩主が将軍に対してモノ申す・・。勤皇の志士に負けず劣らず、アツイ人物がいたのですね。 この方のお姿が偲ばれる、肖像写真が(私が知る限り)2種類残っております。 有名(地元で・・)なのが、上記の本の表紙をめくった一枚目。裃を着た正装写真。 あまり知られていない、ニ枚目は当家に伝わるコチラ。
洋書を片手に撮ったプライベート写真です。 こちらと併せて伝わっているのが「中野家文書」。 代々、藩主堀家の家政を取り仕切る側用人の立場にいた一族、中野家の資料です。 「五拾石加増」「三人扶持加増」といった辞令とともに、藩主直々の「用事」「密」と書かれて封印されたモノまで諸々。 藩主の秘書的にプライベートでもおそばに従えた様子が伺えます。 実際、諫死当時、江戸屋敷にいた女性の回顧録によると、”このころ最もお気に入りのご家来は竹中清之丞、中野五郎太夫・・”とあります。 事件後、須坂藩は新藩主のもと勤皇、倒幕側へ大きく舵を切っていきます。これに対し、この二人は異論(佐幕)を唱え、切腹を命じられています。直虎公の遺志を守ろうとしたのは、はたしてどちらか・・・。 残念ながらこの一族、小説には「中野五郎太夫」の名前が数回登場しただけ。 伝えるモノがすべて未解読で我が家にありますから・・当然ですが・・。 この文書群が世に出ていれば、もうちょっと違う書かれ方になっていたかもしれませんね。 2018年に「直虎公没後150年」を迎えるにあたり、様々なイベントが企画されています。それまでに解読して、何かしらの資料として公開できたらいいなあと思う訳であります。